このブログは、昨年の11月に書いて、下書きになっていました。エントリしたのか、しなかったのか、記憶があいまいなので、もう一度、出しておきます。昨日の卑弥呼の図と共に、
また、最近は太鼓台ばかりで、何故卑弥呼か、不明の人が増えているようだし、最初の頃の話の一つが、この辺に入るのも、思い出すのに良いことだと思うので、重複するかみしれないが、よろしく。
*****************昨年の11月記**
卑弥呼は今から1800年ほど前の日本の女王です。中国の歴史書、「倭人伝」に、卑弥呼女王が、皇帝に使者を送った事が残っています。だから、確実に日本に居た女王なのです。
皇帝は卑弥呼の貢献に対して、金の印鑑や多くの物で、答礼をしました。その上に、特別に「卑弥呼の好物」として、贈った品物」があります。
記録によれば、多くの錦と織物、お金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠などが有ります。
卑弥呼の貢献への答礼は、金、次に、絳地交龍錦(こうちこうりゅうきん)が有ります。これは、赤地に交わった龍を金糸で刺繍した錦です。中国の宮殿で、両側の赤い柱に、金色の龍が描かれています。
この龍を錦で再現したものです。だから、昇降の龍が描かれていて、交わる龍と言ったのでしょう。次も同じ、絳地の織物が贈られています。
倭人伝によると、皇帝は「これらを見せて、国を固めるように」と、言っています。中国では皇帝の龍は使えないのですが、これも、特別に許可しています。
卑弥呼の頃は、日本国内が乱れていました。だから、卑弥呼は使者を送ったのですが、皇帝は哀れみ特別の処置をしたのです。いつの時代も、男性は女性に甘いのかも判りません。
さて、多くの贈り物を得た女王、卑弥呼は、その贈り物を、どうしたでしょう。ある作家は、「自分の衣装を作って、皆に見せびらかした」などと書いている人が居ます。
小説家にしては、想像力に欠ける発想です。「馬鹿みたい」と、私は思いました。女王は国内の混乱に困って、使者を送った。そして、皇帝から「特別に贈り物があった」この状況で、自分の衣装を作って喜ぶだろうか?
卑弥呼は、早速、これらの物を使って、国の混乱を治める事に必死だったと思います。卑弥呼も混乱で人が傷つき、死ぬことを心配していたから、待ちかねて、大きなイベントを始めたと思います。
大きなイベントと言っても、弥生時代では、交通機関が無いから、出かけるより仕方がありません。国民を動かすより、イベントの人々を動かす方が楽だからです。
このような条件の時に、貴方なら、どうしますか?。
卑弥呼は、各地に持って行ける山車を作りました。皇帝から贈られた錦や織物で飾った山車です。その形はどうだったでしょうか?
実は、天照大神(卑弥呼)は、即位の時に、イザナギの大神から、「御倉板挙之神」と言う首飾りを貰います。これは、全国の御倉の板(棚)に挙げられて居る神)と言う、意味です。
卑弥呼は、当然、この倉の形に作りました。卑弥呼の時代には、土器や銅鏡、銅鐸などに、倉の絵があります。ほとんど、共通しています。高床式で、屋根が上ほど大きい末広型です。
これを絵にすると、二階建てで末広屋根が特徴になります。時には上に鳥が描いてあります。鳥は高天原と、国々を結ぶとされていました。事実でも有ります。本物の鳥ではなく、「トリ」と言う名を貰った人々のことです。
もう判ったでしょう。卑弥呼のイベントは、皇帝から贈られたものを使って倉の形にした山車を造り、全国に見せて、国を固めようとしました。
この方法が大成功しました。卑弥呼が行くと納まり、去るとまた、喧嘩を始める。イタチゴッコのような混乱が、治まったのです。倭人伝に「壱與(伊予)の時に、ツイニ治まる」とあります。
国民に見せて歩くために、時間がかかっていますが、山車にして、国民に見せる作戦は、確かに成功したのです。国民の方も、天照大神を見直しています。だから、この山車は、各地に類似品が残りました。
それから、1800年ですから、各地で様々なことが有ったでしょう。だから、当時の卑弥呼の配下だった西日本一帯に有ったのですが、次第に辞めるところや、強制的に排除された地域もあるでしょう。
しかし、これらを潜り抜けて、今に使うところも残っています。奈良県から長崎県までの範囲で、アチコチに、この山車が残っているので、元の範囲も判るのです。
つづく
2006.11.12(下書き)
******************
この後、各地の太鼓台を説明しながら、一番大きくて、豪華な太鼓台を作る地域(燧灘の中心部。香川・豊浜町,宇摩郡、新居郡)の伝承や、太鼓台の紹介をしてきました。
圧巻は、卑弥呼の飾幕と、山に造形された姿でしょう。卑弥呼論は、あまた有れども、、飾幕や、山の造形に残ると言う説は無い。
宇摩説の多くの論証を検討の上、宇摩説の支持をお願いしたいと思っている。
昨年7月から始めた、古事記、倭人伝、考古学など、全てが整合しているのである。矛盾は無いと確信している。

これを載せると、山にある卑弥呼像も再登場をして頂くことにする。次回もお楽しみに!

