<< 2012年02月
12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
272829

宇摩説の「大人の古事記講座」67 国生み、本州1 大倭豊秋津島、亦名、天虚空豊秋津根別 凄い日本!

2012/02/15 23:41

 

   

   

  宇摩説の「大人の古事記講座」67 国生み、本州1

   

 昨日、日本海側の島々を書いたが、最後の本州は先延ばしした。本州の名はやたら長くて、簡単に説明できないからだ。そして思い出すの野は、筑紫の肥の国の神の名である。

   

 この時も、区切って、宇摩説独自のまったく新しい解明をしたら、卑弥呼の頃と思われる、国の大移動が判明した。古事記は迷彩しているが、事実を残す工夫もしているのである。

   

 今回の「大人の古事記講座」では、前置きで随分と弥生時代などの基礎知識を先に書いた。この一部が、やさしい古事記講座の今回の中に”前置き”として書かれている。

   

 今回の原文は非常に短いが、現実的に言えば、前回の壱岐・対馬・佐渡に比較すると、途轍もなく巨大な地域である。おかしな括り方と気付いたのは、宇摩説しかない。

   

 まずは、やさしい古事記講座を読まれたい。

   

   

  やさしい古事記講座36、国生み 本州の前書き

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/400599/

   

   

 思い出せば、四国(伊予の二名島)は四つの国、九州(筑紫)も4っつの国だった。なのに、本州が一つの国は異常であろう。つまり、朝廷側の資料には、本州の国々の資料がなかったのだ。

   

 これは、神武東征に出てくるナガシネヒコやニギハヤヒの国であり、青銅器は銅鐸の文化圏である。一部は四国の南の東側もどう文化圏だが、こちらは高天原の勢力圏である。

   

 この巨大な地域を書き記すのに、朝廷は代表的地名を集めることで表示したのである。そして、この代表的地名によって、高天原の統治方法も判明してくるのだ。

   

 つまり、各地に類似の地名を付けて、揉め事が起きないように、平等に同じように指導する証であり、命名なのである。つまりこの時にエコ引きのないように、統治した名残なのである。

   

 こうして、日本全国には、同名の地域が沢山生まれていたのであり、これらを集めて代表的名を幾つか重ねて、網羅したなで奔主の地名にしたものだ。

   

   
  古事記原文(本州)

 次生、大倭豊秋津島、亦名言、天虚空豊秋津根別。
故、因此八島先所生、謂大八島国。

  通説の解釈

大倭豊秋津島 「豊秋津島(とよあきづしま)」は穀物の豊かに実る国の意。大和の国を中心とする機内地方一帯を指した古称。と、ある。
天虚空豊秋津根別 「天虚空(あまつみそら)」は、「虚空津日子(そらつひこ)」の場合と同様の美称。
<以上>
   

 話が変わるが、現在でも、日本は各地に差が出ないように政治が行われる。この元は神話弥生)時代にもう見られるのであり、この思考が、日本を理想郷にしたのである。

   

 日本社会が他人を思いやり、気遣う文化であり、正直を尊ぶのも、この時代からあったのであり、中国の古文書の「東海の礼節の国」は幻想ではなく、今も日本で実践されている。

   

 東日本大震災が世界にされて、世界中の人が、日本人の行動に驚嘆した。これが、人類の普遍的理想郷であり、左翼の妄想の幻想ではない。

   

 そして、この日本の凄さが、まだ、日本人に正しき理解されてないのであり、このために、本当の日本の実力が発揮されず、世界は争いが絶えないのである。

   

 本当の世界平和は日本社会・文化・思想の世界普及であり、日本人の自覚が必要であるが、戦後の反日汚染左翼が、自虐史観の嘘を垂れ流し、世界平和が遠のいている。

   

 その上に、反日汚染左翼の工作が進み、民主政権やマスコミが汚染されて、日本が危ない状態である。嘘と言う闇を一気に破砕する日本の隠された事実を、拡散・周知が急がれる。

   

<2012,2,15、大人の古事記講座67、国生み>

   

  

カテゴリ: マネー・経済  > 金融    フォルダ: 大人の古事記講座

コメント(2)  |  トラックバック(0)

 
 
このブログエントリのトラックバック用URL:

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/trackback/2599373

コメント(2)

コメントを書く場合はログインしてください。

 

2012/02/16 11:36

Commented by nihonhanihon さん

本州の国々について朝廷側に資料がなかったというよりも、朝廷側の人がそれを正直に書いてしまうと自分たちの存在の説明に都合が悪いので、隠したのではないかと思うのですが、いかがですか?
古事記編纂以降の統治の仕組みなどからして「本当は知っていた」のではと。

 
 

2012/02/16 13:20

Commented by 三島明 さん

もちろん、全て知らなかったのではありません。
   
古事記の頃には概要的には掌握していたと思います。ただ、朝廷の収集時期が数百年と大幅に違っています。つまり、国生み時の史実に忠実に当時の朝廷(九州)側には資料が無かったという話です。
   
朝廷は各地・各家の伝承も集めていますから、多くは判っていたでしょう。
  
全てを書くと不都合が出るので、隠したとも言えますネ
   

 
 
トラックバック(0)