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宇摩説の「大人の古事記講座」64 国生み 筑紫2 肥(ひ)の国の大移動

2012/02/12 23:36

 

    

   

 宇摩説の「大人の古事記講座」64 国生み 筑紫2 肥の国

   

 昨日は、建国時に誓約で交換されたのが「ツクシ(筑紫)とトヨ(豊)」の地名だろうと、再検討の話をした。実は最初の著著で、肥に国は肥前・肥後の地に大移動を書いている。

   

 そして、肥の国は、元は宮崎の地だったとしている。この解明は日の国の亦の名を、「建・日向、日豊、串日根・別」と置き換えると非常に判り良い。

   

 肥の国の亦の名の原文は「建日向日豊久士比泥別」とあり、通説は、「建日・向日・久士比泥・別」と区切る。が宇摩説のように区切ると、建(族)、日向・日豊・クシヒ根・別(わけ)となって、全て宮崎と近郷の地名である。

   

 建族であった肥の国が、筑紫の国名が気に入らず、または中国由来の青銅器文化が気に入らず攻め込み駆逐した。その宮崎に邪馬台国の連合軍が攻め入って、交換になった。(著書1の解明)

   

 これは、倭人伝の倭国騒乱の一部解明だろうと見ているが、こうなると、時代がずれるが、昨日の謎解きは、4つの国の領域を元に解いたので、少し説明が必要である。

   

 最初は今の筑紫と豊の交換であった。だが、高天原直轄の国は目に見えて豊かになる。周辺集落の人々が併合を願い出て、広がっていった。これが紛争の始まりであろう。

   

 次第に離れる建族の離反に危機感を持ったのだ。実は、太鼓台は卑弥呼の思想が残る。そして、東西南北の国々が平等であることを全てで表現している。

   

 つまり、高天原は芝居などで同様に伝達しても、各地の主達が、高天原の提案を取り入れたり、入れなかったりの差であろうが、建族は次第に差がついたのだろう。

   

 この話は、倭人伝または太鼓台の方が適切なので、詳細は別に書こうと思う。卑弥呼の様々な和平策などが、太鼓台と倭人伝に片鱗を残す。

   

 なお、建国当初の筑紫は長崎松浦辺りまでだったと思われる。理由は高天原の中国交易であり、防衛である。俺にあまりはまり込むと、古事記講座が進まない。

   

 さて、やさしい古事記講座33で肥の国の移動を書いている。何時ものように、次の33のURLを載せる。

      

   

  やさしい古事記講座33 国生み 筑紫2 肥の国移動

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/396961/

    

   

 

 肥の国の移動は、著書1の他に、ブログでも様々に書いているので、好きな人は、あれこれ読んで見て欲しい。

   

 また、太鼓台に付いても、基本的な概要は書いている。

 

 太鼓台は皇帝が飾りを贈った伝承、使者が来た歌、贈られた織物の図柄が揃う飾りなど、しかも、花菱が、伊勢神宮と同様位置に使われている。

   

<2012,2,12、大人の古事記講座64 筑紫2>

   

カテゴリ: マネー・経済  > 金融    フォルダ: 大人の古事記講座

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コメント(2)

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2012/02/13 19:59

Commented by nihonhanihon さん

現在の東大阪市の地名のことでかなり前にもご質問させていただきましたが、このあたりのエントリーに関するものとして、

盾津(蓼津)

玉串

あたりが気になります。

 
 

2012/02/17 23:32

Commented by 三島明 さん

津の地名は、津根や江之元から出発した交易船、古代交易の港のことが多い。
   
 玉串は、神社が出来ての言葉。後世の感じですね。
古代のタマは魂・珠だと思います。
  
 「珠・魂、奇・櫛」だと、意味が変わります。これだとここで交換や採掘があった地名になる。と、玉串に迷彩された可能性もある。
   

 
 
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