イザナギ、イザナミの国固めが成功をし始めた。最初の淡路島を誕生させて、いよいよ本題の、伊予之二名島に入る。
学者は国土生成などと、書いていながら、先の述べてような、高天原の指令を芝居で周知徹底をした事は、一切判らなかった。この、宇摩説が始めて、様々な角度から、この記述は、芝居だと、そして、表面上の芝居は、理解されても、もう一つの意味、これこそが、本来の目的だった部分が、理解されて無かった事を示した。
『次生、伊豫之二名島。此島者、身一而、有面四。毎面有名。
故、 伊豫国謂愛比売。 讃岐国謂飯依比古。
これが,倉野憲司校注『古事記』の原文だ。私も読み方は同じだから、市販の古事記で読んでもらえば良い。ただ、解釈は大幅に違う。其れを、書こう。
まず、伊豫之二名島から、此の二名は、南北に分けて、解釈する説が多いが、よく、見直せば、二名と言いながら、四つの名を挙げている。これは、矛盾する。ここに、一つの迷彩が有る。
何故、二つの名と言いながら、四つの名があるのか、こう考えて、人は自分の思考で、答えを出したり、出なかったりする。これで、思考が終わる。これが、狙いなのだ。立ち入った思考をさせて、本当の答えが簡単に出ないように、との配慮である。
此の配慮は見事に成功して、此の部分の一番大切なことが、これまで明かされることが無かった。本当の史実とは何か、宇摩説では、いとも簡単に答えが出る。それは、青銅文化圏を下敷きに、古代史を解いたからだ。
四国は、瀬戸内側の銅剣文化と、東西の銅鐸文化、銅矛文化、の三つになる。此の三つに名があったはずだ。卑弥呼(天照大神)の時代を、書いたなら、当然、三つの名が必要だ。が、三つの名は書かず、二つ、四つと言う。これは、おかしいことだ。ここに、隠したい国が存在したためと思う。
高天原が詮索されないように、どの地域か判らぬ様に、二つとか、四つにしたのだ。此の名は伊予の(他に)二つの名が有る島、が青銅器の分布から判る。この本当に史実の名は、伊豫と、ウワとアワの三つだった。
これを、二つ、四つで、思考をそちらに向けさせて、迷彩したのだ。此の大成功振りは、大勢の史学者の誰一人、解いた人が居ない事でもわかる。
伊豫之二名島は、本当は伊予と二名の島が史実だった。この様に、青銅器の分布を下敷きにすれば、いとも簡単に出るのに、これが出なかったのは、学者が机上論を継承したからである。これは、考古学の無かった時代の宣長なら許されるだろうが、これを継承して、今も、一顧だにしない学者は非難に値すると私は思う。
此の、四つの名は、もっと大切な史実が隠されていた。先に、どちらかのHP
で、ここに隠された内容を、簡略に説明したが、ここで、もう一度、詳細に説明しよう。
倭人伝には『復立、卑弥呼宗女,壱與。年十三、為王。国中遂定』とある。卑弥呼の死後、「卑弥呼の宗女(長女)、壱與、年十三を、王と為す。国中、遂に定まる」と書いている。
日本の神話によれば、日本は本名を呼ぶことはほとんど無く、仕事や、出身地、業績、特徴などで代用している。すると、倭人伝の壱與は伊予に比定してみるのが、学者としての、最低の行為ではないだろうか。しかし、これだけ、様々な説が出ても、壱與を伊予ではないかと、仮定した説は無い。
私など、無学だから、おかしな先入観が無い。お陰で,直ぐに比定した。特に、古事記の冒頭で、宇摩や、燧灘が高天原と判っていたから、何の躊躇も無かった。比定して、初めて、一致はイヨだけでな事に気付いた。
古事記や日本書紀(以後、記紀)を読めば、長女は日本語でどう言ったかの知識が出来る。それは、上を、エヒコ、エヒメ、とエ(兄)を付けると判る。なお、エヒメは後の方に多く出てくるが、これは、説明が必要なエヒメであり、地名や親、兄弟が付いている。だが、トップは付けなくても、日本中で理解、納得される。後のエヒメは、迷彩で使われた思う。
国生みの段階で、説明無く、エヒメと呼ばれて、国中の人が同一人物を想定するのは、トップの娘だけであろう。古事記のエヒメは愛比売と書いている。これは、漢字を知る現代人は、違うと思っていしまうが、当時は国民のほとんどが漢字は知らず、エヒメの言葉で理解した。漢字は無意味なのだ。
古事記は『伊豫の国は、エヒメが、支配した』と書いている。これも、事実だろうが、実は四国の名も伊豫だ。ここに、おかしな隠し方がある。大きな部分の支配者を、専門分野の長として、紹介している。
これは、会社の社長を、出身分野の長と紹介すようなもので,到って不自然だ。ここに、本当に隠したかった物が、何かと解る。イヨ姫は、少なくとも、この時代に、四国の女王として、君臨した史実を、伊予之二名島の名で、古事記自身が、証明している。(が、学者は気付かない)。
古事記は四国の王が、エヒメ、伊豫だと、書いている。つまり、かわいらしい姫、エヒメと書いている。このヒメを地名で呼べば『伊豫比売』、特徴で呼べば『エヒメ』。これが、古事記の記録である。
倭人伝は、卑弥呼の宗女(長女、日本語では、エヒメと言った)、壱與(イヨ)と、書いている。これで、古事記と倭人伝の二書は、イヨとエヒメで共通して、一致する。
名前や地名の多さから、一つの一致でも、統計学的に必然性を認める。だから、色々な説で、一つの一致を証拠にする。この二つの一致は確定的である。二書は此の一致で、共に史実を、伝え残した事を証明する。
もちろん、伊予に都があって、壱與(愛比売、伊予姫)が居た事も、書いてあったのに、これまで、誰も気付かなかったのだ。この様な見落としは、人々が先入観によって、行動して、これを正しいと思い込むことによって起こる。
自分の知識を、何時もアンテナを張って、修正するように、気を付けたいものだ。株式投資は、これが良いと思って大事なお金を投資しても、逆になって損をすることが、多い。つまり、自分の知識の間違いを、損で教えてくれるから、ベテランになると、おかしな自信、絶対に儲かるなどと、言わなくなる。
人は万能の神ではない。様々な面で、一番良いとなっても、買った日に工場が爆発するかも判らない。投資で、絶対と思う人は、投資を止めるか、間違いだと気付くまで、損jを続けるかの二つしかない。
前者は、いずれ、どこかで気付くように、どこかで、損を続けるだろう。後者は、金銭のマイナスが、人生の知識として残り、これが、人生を豊かにするだろう。
とにかく、古事記と倭人伝は、完全一致で、都を伊予の二名島と教えている。先に、もう一つのHPで、この伊豫は、宇摩などと共に、字義を説明した。伊豫は、象(像)を予めに知る、指導者(伊)の説明をした。漢字で、卑弥呼の鬼道(占いの指導者)と書いているのに、これも、見落としていた。
イヨの語義は、イヨイヨと重ねると良く判る。これは、芝居などの開園を待つ時の気持ちで、今から何が起こるか先に知っていて、待つ状況だ。ここも、予言に関係する。つまり、言葉でも、卑弥呼を連想させる。
まとめよう。卑弥呼(天照大神)の時代の四国は、北四国の銅剣、東四国の銅鐸、西四国の銅矛と、三つの文化圏があった。古事記は、四国を、伊豫之二名島と紹介して、伊予国は愛比売と書いている。
これらを、細かく検討すれば、この時の都が何処にあったのかが解る。しかし、当然とも言える此の検討が為されてなかった。その結果、四国無視の論議が広がるばかりで,手に負えなくなっている。
古事記の冒頭で、宇摩や、燧灘を示して、ここで、また、伊豫之二名島で、天国を教えていた。これで、幾ら宇摩説の証拠が出たのだろう。多くの証拠が出るのは、やっと、本物が出た証拠であろう。とにかく、古事記は宇摩を指摘している。
こうして、宇摩説(伊予王朝論)は生まれ、確定した。
今日は、この辺で終わろう。


by 三島明
宇摩説の「大人の古事記講座」…