宇摩説の「大人の古事記講座」154
前回までに、オロチの五つの形状を太鼓台の一部であると、説明した。これらをまとめているのが、今回の「やさしい古事記講座」124である。
ついでに、思い浮かぶ宇摩説の正当性と、現在の所論の根本的間違いも書いた。オロチからの話だが、弥生・神話時代の宇摩説の解明方法と手順の概要である。
やさしい古事記講座124
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オロチ形状のマトメ
前回で、古事記にあるオロチの形状が、太鼓台の部分を取り出して書いた物だと、細かい説明をしました。余りに枝葉に入ったので、全体がどのように関係するかを、マトメておきます。
(116)で書いた現在の史学解釈は以下のようになっていました。スサノオが、「その形はどのようか?」聞く所からです。
ここに「其の形は如何に」と、問いたまへば、答へ白ししく、「彼目(そのめ)は赤加賀智(あかかがち)の如くして、身一つに八頭八尾(やつかしらやを)あり。亦、其の身に生つる蘿(こけ)と檜椙(ひすじ)を生(お)ひ。其の長(たけ)は、谷(谿)八谷、峡八尾(たにやたに、をやを)に度(わた)りて、其の腹を見れば、悉に常に血爛(ちただ)れつともおしき。
この形状を、五つの部分に分けて話しました。
ここに「其の形は如何に」と、問いたまへば、答へ白ししく、
1、彼目(そのめ)は、赤加賀智(あかかがち)の如く。
2、身一つに八頭八尾(やつかしらやを)あり。
3、其の身に生つる蘿(こけ)と檜椙(ひすじ)を生(お)ひ。
4、其の長(たけ)は、谷(谿)八谷、峡八尾(たにやたに、をやを)に度(わた)り。
5、其の腹を見れば、悉に常に血爛(ちただ)れつ。
以上が、現在の解釈です。この解釈に従えば、ヤマタノオロチは、
1、血走った目をして、
2、胴体が一つで、頭と尻尾が八つに分れ、
3、その身はこけと檜、杉が生えて、
4、身長は、八つの谷を渡り、
5、その腹は悉く、常に、血に爛れている(怪獣となる)。
宇摩説では、迷彩のために太鼓台の一部を拡大して書いた物と解釈する。
1、昇降の龍が上下で睨み合う龍の目。
<* 中国皇帝から、卑弥呼に贈られた錦の血走った龍の目>
2、太鼓台一台に、八匹龍。
<* 目立つ布団締めに、昇降の2龍が4面にある>
3、太鼓台は、かずらと檜と杉で生まれる。
*生を「はえる」に対して、「しょうじる」と読み替えた。
<* コケは誤訳、ツタと変えた>
4、ツタを曲がりくねった龍に見て八本のカキ棒を渡る。
*谷と峡を山ではなく、太鼓台の「カキ棒」の表現とした。
<* 担ぐ位置で感じる山=かき棒と其の間を谷に表現>
5、布団締め、飾幕、掛布団の裏は真っ赤な染色である。
<* 写真で見るとおり、深紅で近だと血に爛れた腹に見える>
<* 背中側は、龍や獅子等の刺繍がある>
となって、全て太鼓台の一部の表現となった。
元々、太安万侶が、「龍」の字を知らなかったとは思えないのに、「袁呂智」と、書いている。これは、最初の注意喚起している、「日本語を残した」表現であり、「言葉の語義を色々検討せよ」と言う部分であり、宇摩説では「おろち=愚・血」と解釈した。
また、今もオロチに「大蛇や蛇」の字を当てる。しかし、神楽のオロチは明らかに、「龍」である。龍なのに、何故、大蛇と書いてきたのだろう。これは、記紀の影響である。つまり、朝廷の迷彩の影響なのだ。
太鼓台(神輿太鼓)の起源の考察概要
太鼓台は、奈良県から長崎県までの西日本に分布する。しかし太鼓台の起源や由来を語り継ぐ所は無い。三島の伝承も、各地の伝承と、各郡の伝承を集めて、比較検討して、判明したのであり、単純明解に起源とか、創始とか言う話はなかった。
宇摩郡の三島では確定的な伝承とも言える、「女神が国固めのために作った」が残るが、これとて、女神の特定が必要である。この女神を特定する諸条件が、宇摩郡では色々なところに残しているから、解けるのである。
女神は「国固め作った」と言うことは、裏返すと「国が乱れていた」と言うことだ。国が乱れていた時の女神となる。そして、異国の皇帝に使者を出した。応じて贈り物が付いたとなれば、卑弥呼以外に無い。このような傍証が必要なのである。
<* 船神輿歌で、異国の皇帝など、歌詞に「臣下、やん・か・、テキ・テイシュン(卑弥呼への使者の名)」、楽団付で来た事がわかる>
また、倭人伝の贈り物に一致の図柄など、様々な傍証によって、女神が卑弥呼と判明する。そして、ここに古事記の天照大神と一致する伝承が残っていたりして、卑弥呼=天照大神となるのだ。
また、現実に太鼓台の飾りの図柄だけからも、皇帝に贈られた錦で飾った太鼓台の存在がこれを証明する。
つまり、卑弥呼(天照大神)が皇帝に使者を出し、贈られた錦で山車(太鼓台)を作ったのである、この「タイコダイ」のタイに付いても別に説明した。
伊勢神宮の神楽、お守りなどに、タイが付く事を説明したし、倭人伝でもタイ・ダイが高官に多く一致している。古事記の天照大神や倭人伝によって、その時代や思考を残す言葉の一致である。
これらの整合によって、太鼓台は卑弥呼(天照大神)が国固めの為に作り、成功して平和になり、人々はこれを慶んで、祭りの山車として、全国(当時は西日本)作られて、各地で継承していたのだ。
後に、高天原から分家して、九州に天降りした家系が、後に、武力で西日本を征服した。これが天皇家であり、高天原の分家だった。この本家高天原を天上の国として、地上は天皇家が支配するとしたために、地上の高天原と、この組織・功績を消していった。その一つが記紀なのである。
邪馬台国論の九州と近畿
邪馬台国の所在論は江戸時代からあるようだが、本格的な研究、論争になったのは明治以後の話である。今は、明治から140年になる。九州・近畿説の学者を含む諸説がおのおの論証を示したが、100年余りも決着を見ない。
何故、決着しないのか?
宇摩説では答えは簡単だ。
共に間違っているからだ。
記紀の表面記録に惑って、古代は神話に書かれた、九州・出雲(中国)・近畿しか無いと思い込んだ結果である。記紀にある高天原は、これらの国の上に存在した。この「高天原」があるのに無視して、九州・近畿と思い込み、其の上の存在を無視した思考の結果なのだ。
つまり、高天原=邪馬台国の場所の特定を本気で求めず、これらの支配下にあった地域である九州や近畿だと騒いでいるのだ。記紀を読む限り間違いだから、決定しないのは当然であろう。
このような膠着状態であった所に、古事記を合理的に読み直した新しい古代史解釈の、宇摩説が生まれた。
古事記の高天原神話を実在として使用道具で時代を特定し、歴史的に見ると、古事記に四国神話が無い事に気づくのである。
ここで、高天原神話を四国神話とすれば、神話は西日本の国内にあった古代の史実となって、当時の弥生・神話社会が明確に判明するのである。
<* 修正・追加、校正、2012,5,14>
<2012,5,14、大人の古事記講座154、高天原>
by 三島明
宇摩説の「大人の古事記講座」…